会社を悩ませる「生活残業」
「労働基準法なんか守っていたら、ウチの会社はつぶれてしまう」
多くの中小企業経営者から聞かれる言葉です。
この言葉には様々な思いが込められていると思います。人手が足りない、会社の経営が苦しい、景気の先行きが不安だ…等々。そしてその中には、こんな考えも有るのではないでしょうか。
「残業に対していちいち馬鹿正直に割増賃金を払っていたら、それを目当てにダラダラと会社に残り続ける従業員が続出する」
いわゆる「生活残業」という代物です。従業員からすれば、同じ仕事をするにしても、短い時間で済ませるより長い時間をかけた方がより多くの賃金をもらえるのならば、誰もがそうしようと考えるのはごく自然なことと言えるでしょう。
生活残業が成り立つためには、会社が命じてもいないのに従業員が職場に居続ける時間を(賃金の支払い義務が生じる、という意味の)「労働時間」と見なす事が前提となります。例えば、会社からすれば所定労働時間内、もしくはせいぜい30分~1時間程度の残業で終わらせられると踏んで命じた仕事を、従業員がわざわざ何時間もの残業をして終わらせたようなケースがその典型と言えるでしょう。
しかし、そういった時間を全て労働時間と見なし、割増賃金を支払わなくてはならない法的な義務が、本当に会社側に有るのでしょうか?
労働は権利?義務?
判例や学説の細かい議論を省略し、かなり大雑把に言ってしまうと、労働することとは労働者に認められた権利ではなく、あくまでも使用者から命じられる事によって生じる「義務」に過ぎないと考えられています。
残業についても同じです。使用者から「○○時間残業しなさい」と命じられる事によって初めて残業の「義務」が生じるのであり、労働者が「××時間残業させてください」と申し出たからと言って、必ずしもそれを全て認めなくてはならない訳ではない、というのが原則となります。
もっとも、使用者側が命じた残業時間が、全て無条件でそのまま認められる訳ではないことには注意が必要です。「1時間の残業でこの仕事を終わらせろ」と命じたにも関わらず、労働者に指示した仕事の量が、1時間程度の残業では到底終わらせることのできないものであると社会通念上考えられるような場合、黙示の残業命令と見なされてしまう可能性が有ります。
すなわち、表面上は1時間の残業を命じているけれど、実質的にはそれ以上の残業を命じていると見なされてしまい、労働審判や裁判の場で思いの外に高額な残業代の支払いを命じられることもあり得るのです。労働者に残業命令を発する際には、命じる仕事の分量や進捗状況を把握した上で、適切な長さの残業時間を命じることが必要になります。
生活残業を防止するために
生活残業を防止するには、明確な言葉で適切な時間の残業命令を出す事が必要です。「会社が命じた残業時間を超えて職場に残っていても、残業代は払わない」という言い方は、ともすればサービス残業を肯定することになりかねず、好ましいものではないかもしれません。しかし会社が発した残業命令が、その仕事の分量や残業時間の長さに照らし合わせて適切なものであるならば、命令した時間を超えてダラダラと職場に残っているような従業員に対し、必ずしも全ての時間に割増賃金の支払い義務が生じる訳では無いはずです。
職務上の権限に基づいて適切に発した命令は、例えその内容が従業員にとって耳の痛いものであったとしても、何から何までパワハラとされてしまう訳ではありません。生活残業を目当てに、必要も無いのに職場に居残り続ける従業員に対しては、時として毅然とした対応も必要になるでしょう。また、残業時間が短く効率的に仕事をこなす従業員に対し、人事評価の査定を上げるなどのインセンティブを付与する方法も考えられます。
生活残業を恐れるあまり、「ウチはブラック企業だから」と開き直ってしまうのは論外です。法的に「労働時間」と見なされるような残業に対してまで割増賃金を支払わないのは、れっきとした法律違反です。いわゆるブラック企業に対する世間の目が厳しくなっている昨今、「法違反を放置している会社」というレッテルを貼られてしまう事は、想像以上に会社に対するダメージになると心得ましょう。
生活残業の問題の根底には、「残業代なんか払ったらダラダラと職場に居残り続ける社員が出てくるに違いない」という会社側の不信感と、「どうせ評価なんかしないんだからせいぜい残業代で稼いでやれ」という従業員側の諦観が有るのではないかと考えます。常日頃から労使間でコミュニケーションを取り、相互の信頼関係を築くことが、「生活残業の防止」と「法令の遵守」とを両立させる術と言えるでしょう。